ハトネコエの人事・採用ブログ

人事や組織関連の話で、読んだこと・考えたこと・聞いたこと等々

性善説経営ってよく言うけど性悪説が好きです

最近よく「性善説経営」という言葉を聞くようになりました。

言いたいこととしては、
「みんないい人に違いないから、俺たちはお前らを信じる。どれだけ裏切られたって信じるぞ」
っていう意思表明として使われています。

この意思自体はとてもいいのですが、
そのために「性善説」という言葉が使われるのはどうしても違和感があります。

学校で哲学を学んだわけではないですが、私の理解としては、

  • 性善説 : 人間の本性は善なるもので、外部的要因で悪に染まっていってしまう。だから染まらないよう、道徳や教育を重んじるべきだ
  • 性悪説 : 人間はもともと弱い生き物だから、道徳や教育、もしくは懲罰により善に導いてあげるべきだ

が、それぞれの説明になると思っています。
どちらも「道徳や教育って大事だよね!」が最終的に言いたいことなので、本質的には同じものだと思っています。
決して性善説性悪説は対になる存在ではないと。

で、あとは好みの問題なんですが、私としては性悪説のほうを推しています。

人間はもともと弱い生き物だと思います。
5歳児ですら、教えたわけでもないのに嘘をつくことがあります。きっと自分を守る防衛本能によるものです。
みんなが本能のままに生きてしまっては、自己の欲求を満たすことや自分を守ることに必死になって社会が混乱します。
そこで人間がどうあるべきかを示すものとして道徳があるのではないか、ってのが私の考えです。
(「善」ってなんでしょうね? 「秩序」のことなんですかね……)

で、これ関連で好きなのが、最近人事界隈でホットなミラティブ社のミッションで、
あそこ、『わかりあう願いをつなごう』ってミッションなんですよ。

サイトから引用しますと、

「人と人がわかりあう」のはとても難しい。
友だちとも、恋人とも、同僚とも、 あるいは集団同士や国家間だってそう。
それは、皆がスマートフォンを持って、いつでもどこでも
あらゆる「情報」にアクセスできるようになった現代でも、なお、難しい。

だから、もしかすると「わかりあう」って、人類にとって最後まで残る永遠の課題で、
皆で力をあわせて解決のしがいがある課題なんじゃないだろうか?

この文章がけっこう好きで、人間って弱い生き物だよね、っていう根底の部分の理解を示した上で、
「でもそれをみんなで乗り越えたいよね!」という熱い想いにつなげているところが好きです。

乗り越えたいですよね。

個人的には、性悪説に則った考えの方が、
「いかに弱い自分らに私達は打ち勝てるか」ってストーリーを示せて好きです。

ですので、 「みんないい人に違いないから、俺たちはお前らを信じる。どれだけ裏切られたって信じるぞ」
っていう意思表明自体は好きです。
人を信じられなくなることがある弱い自分らが出てこないように、みんなで共通の意識を持つわけですよ。

なんかカッコよくないですか?

というわけで、性善説よりも「人間は弱いものだ」という前提に立つ性悪説が好きだし、
もっと性悪説という言葉を推していきたいな、って話でした。

そういえばメルカリも「性善説」って言葉を前面に出すのをやめたらしいです。
本来の意味で考えると、性善説って言葉で打ち出すのは具体性がなくてよくわからないですから、
『Trust & Openness』 という明確な指針に落とし込んだのは良い動きだな〜って思いました。